« 第15回京都シティーハーフマラソン | トップページ | 桜前線お花見情報 IN 浜寺公園 »

靖国参拝

東京遠征の際、靖国神社に参拝した事については前回の記事でも触れました。

靖国神社に関しては様々な意見があるようですが、今回はじめて靖国参拝し私自身色々と考えさせられました。

神殿入り口付近にあった「遺書」。その全文を紹介させていただきます。

この遺書は、昭和14年3月10日に25歳で戦死された広島県出身の方のものです。(お名前は記載しない事にします)

遺 書

弟進ヘ

進よ、兄は戦争に行く二度と会ふ事は出来ぬ、

進よ、兄が戦死と聞いたなら内の責任は君の双肩にあり、父母によく仕へ立派な人間になって呉れ、

兄の墓を建てて呉れ、兄の最後の願ひだ、

君は生活に苦しむと言ふ事は無いと思ふが立派に暮らして呉れ、

何事も打勝つと言ふ事だ、

父母を頼む、

これから社会へ立つのだ、一歩一歩進み行けよ。

妹富美子へ

富美子よ、君は勝氣なるが故に兄は心配をする、女の道は只實直に進むのだ、

君の今の病氣に負けてはならぬ、

恋愛に落ちるので無い、

今君の責任は大である、君故にお父さんは心痛して居る、

何事も父に打明けて相談せよ、わからぬ父では無い、

早く病氣を治して良い家に嫁いで呉れ、

君の顔を一目見たいが会はずに兄は征く、

君の花嫁姿は何処かの地下で手をたたいて喜んで見て居る。

この遺書を読ませていただき、涙し、その後、神殿に手を合わせました。

|

« 第15回京都シティーハーフマラソン | トップページ | 桜前線お花見情報 IN 浜寺公園 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

25才でこういう遺書を残し戦争に行かねばならなかったんですね。昭和14年だから戦局としてはまだひどくはなかったはずですが、それでもこういう覚悟で出征していった、こういう時代はわれわれには想像もできない特別な時代だと思ってしまうんですが私の親父は昭和2年生まれでこのとき12才、16才で予科練に入り飛行機に乗ろうとしていました。終戦のときでも18才、もう一年戦争が続いていればたぶん特攻機に乗って突っ込んでいっていたと思います。その親父が生きているときに、この時代について話すこともあったんですが、彼は特別右翼的な性格でもなく、普通の日本人として生きていて、日常生活は決して特別な時代ではなく、普通に生活している中で戦争が起こって、たくさんの人が死んでいったような感じで話をしてくれた覚えがあります。少しきなくさい匂いがしはじめている今、絶対に当たり前のように戦争に巻き込まれるような日本になっていくことだけはないようにチェックは入れましょう。

投稿: ジャン | 2008年3月15日 (土) 00時06分

究極の言い方をすれば今の日本は「平和教」に陥っているのではないかと懸念します。
「平和、平和」と唱えれば平和が得られるとの勘違い。
靖国に眠る英霊の言葉に耳を傾ける事も逆に平和を意識する事かも。
戦争を語らずして平和を語るな!が、イデオロギー転換した私の持論です。
あらら、ランナーtacocoさんの違う一面を見せてしまいました~。

投稿: tacoco | 2008年3月15日 (土) 21時50分

悲惨な体験は、二度と起こしてはいけません!
私の亡くなった父は昭和7年生まれで、疎開をしていなかった事から大阪大空襲の話など、当時の悲惨な話を聞かされた記憶があります。
当時の事を語り継げる人たちが、だんだんと少なくなって来ました。
悲惨な体験を語りついで行く事が大切なんだと思います。

投稿: ジャンさんへ FROM たっくん | 2008年3月16日 (日) 12時22分

あの体験をこれからの世代にも語り継いでいく。
そして事実を知る。
そんな事が大切なんだと思います。
それにしても今の日本は、「平和ボケ」してるんじゃないでしょうか?

投稿: Tacocoさんへ FROM たっくん | 2008年3月16日 (日) 12時26分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/457384/11016134

この記事へのトラックバック一覧です: 靖国参拝:

« 第15回京都シティーハーフマラソン | トップページ | 桜前線お花見情報 IN 浜寺公園 »